アズールレーンの"共闘イベント"と冠した何かは、ただの個人戦である

はじめに

 要望が生かされない愚痴でしかない。エセックスイベントでクソ頭に来たので事細かく説明してこのザマだと、正直"共闘イベント"を冠する何かが来る度に腹立つだけなので、きちんと明記しておきたい。
 これが1回目や2回目の共闘イベントであればまあ理解もできるのですけど、3回目にしてもこれですからね。仏の顔も三度まで、人間であれば言わずもがなという感じで、この手のイベントをして「共闘イベント」と銘打つのはさすがに腹立たしい限りなので怒りをぶち撒けるのです。

汝に問う

「共に闘う」と書いて「共闘」なのだが、果たして同一サーバ内の指揮官諸氏は共に闘っているのか?

 本当にここに尽きるのですが、単純な闘いを定義する場合「敵」と「味方」がいて、「共闘」と名の付く限りは「共に闘う味方・仲間」がいるはずなのですが、

共に闘う味方・仲間って「どこに」存在するの??

ってのは非常に不可解なわけです。イベントの開始から終了に至るまで。

 敵は間違いなく居ますね。第1回目はシェフィールド率いるロイヤルメイド隊がそれで、第2回目はエセックス。第3回目は今やってる駿河大鳳雪風さま。

 

 で、仲間は?

 

 同一サーバ内の指揮官が仲間、という考え方は出来なくはないですが、何ともなしに上位ランカーが引っ張るだけの印象があります。どのサーバにも共通して「俺も頑張った!みんな頑張ったね!」って空気よりも「上位ランカーがあそこまでポイント稼いでくれてる!ありがとう!君のおかげだ!」って空気の方が凄くないですかね。

 

 平たく言えば、それは通常の大型イベントだったり艦隊戦力ランクだったりと、何がどう違うのですかね?

 

 しかもピラミッド構造上比較的多くなりがちな、100位圏外の"ノンアクティブな"指揮官さま方にとってより顕著に、大きな声となって広がる傾向にあるので、ランカーとして走れば走るほど「共闘」というイメージは一欠片も感じずに終わるのですよね。

 100位圏外の指揮官からはランカーはともに闘った相手として見られるけど、ランカーからは100位圏外の指揮官は仲間とは感じ取れない。

 この辺は0%になった後に消化試合的に済ませる指揮官さまが少なからずいらっしゃる部分も含めると、殊更に思うのです。

あなたたちは「共に闘った仲間なのか?」

と。

 

あなたが闘った戦果は、誰かのためになり得たか?
あるいは、誰かが闘った戦果は、あなたのためになり得たか?

 先に書いたことに加えてなのですが、共闘という限りは連帯意識なり「俺たち共同戦線張ってるぜ。共に頑張って戦況を乗り切ろう」的なニュアンスがあってしかるべきだと個人的には思うのですが、その要素は完全にユーザーに丸投げ。共闘イベントで盛り上がるポイントとして抑えるべき最大要素が

イベント「交錯する新たな波」各サーバーの段階移行日時の記録 - アズールレーン(アズレン)攻略 Wiki

という、wikiruの攻略サイトにあるイベントページの一隅(あとは変な方向で盛り上がってる5chとか)というのは実に変な盛り上がり方。アプリ内では上記のようなデータを見てサーバ全体の意気込みを高揚させるわけでもない。

 

 加えて。例えば自分が何らかのダメージを与えた結果、ほかの指揮官さまのプレイそのものに影響を及ぼすことがあったのか、というと、ほぼ確実にない。率直に言えば、このイベントのランクに掲載されることがより高みに至る意志に繋がるという「あるかどうかも分からない精神論」以外はない。逆も然り。

 ある指揮官の戦果が、サーバ全員のバフなり、敵に対するデバフなりの効果を及ぼし、ほかの指揮官のプレイに確実に優位に進めることができるのであれば「共闘」と言えるが、アズールレーンの「共闘イベント」と冠するものには、それがない。

 この辺は比較すると枚挙に暇がないのですが、ソーシャルゲームを含む他のゲームの共闘コンテンツでは比較的達成できているので、殊更に思うのです。

これは「共闘コンテンツ」なのか?
ただの「個人戦」ではないのか?

と。

 

…本来の、共闘コンテンツのあるべき姿については、後日書きます(すでに運営に送ったメールをブログ記事として書き起こすだけなのだが)。